こどもちゃれんじぷち留年 3歳9カ月

次々と新たな技(問題)を生み出す息子ですが、最近はもっぱらウンコです。

このウンコをどうするかと言うと、手で触ってその手で色んなものを触ったりします。

壁、おもちゃ、布団、そして、自分の口にも。

そもそも、ずっと下痢なのです。普通の便がでると珍しい!と思うぐらい、ずっと下痢です。

食べる速度が半端なく早いのでこの早食いが影響しているのでないかと思うのですが、自閉症の子はストレスが高く下痢になりやすいという話も聞いたことがあるので本当の原因はわからないのですが、

下痢が続ているせいか、梅雨の湿気でオムツが蒸れるのかお尻に赤いできものがあり、それが痒いのかウンチをするとダイレクトに触ってしまうのです。

それが、リビングとか発見が早くていいのですがベッドルームだと地獄です。

そして、ある日ある時に気が付いてしますのです。「このシミ。。」、「この汚れ」そして、その汚れやシミに鼻を近づけると!

この件を保育園やこども発達相談センター(船橋市の場合の名称)に相談すると「ロンパースとかならどうですか?」と回答。

ロンパースとは赤ちゃんが着ているような上下が一体になった服ですが、確かにこれだとお尻へのアクセスは悪くなり股の下からのみのアクセスとなるが、これはこれで外遊びとかされると「洗濯が大変」なんです。

とまれ、ウンコ触る件については可能な限り彼に張り付け続けるしかないのかと思い、夫婦交代で監視を行うことになりました。とにかく、ベッドルームに一人で行ったら大急ぎで追いかけるようになりました。

運動面ですが、運動だけはなかなかのセンスがあるらしく雲梯でぶら下がったりもできます。調子にのって家の階段の手すりで遊んだりもします。

言うまでもなく、家のテーブルに乗って遊んでもいます。

睡眠障害はしばらく落ち着いていたのですが、まれに3:00に起きたりして相変わらず不定期ですが発生してます。頻度は減りました。

その他の成長面だと、ノンタンが大好きなんですがノンタンを姉が見ていたら、「のんの」といって近づいてきた。これも、この時偶然だと思います。これ以降はこの発話はなくなりましたので。

生活面だと、私(父)と上の子と息子3人で旅行に行きました。旅行先には祖母と従妹たちいたのですが、ある意味父だけとの初めての旅行となりました。
(以前に、クレヨンを食べて妻が出て行ってしまったときにやもえず、3人で実家に帰ったことがありますが、これを逃避ととるか、旅行でとるかで初めてじゃなくなると思うかもです)

あと、情緒面でいきなり泣き出したりするのですがこれも原因が分かってないですが、もしかしたらどこかで嫌なことがあってそれがフラッシュバックのように思い出されるのかもしれないです。

ただ、泣き出したと思うと急に笑いだしたりとアクセルとブレーキが同時に踏まれて感じかもしれないです。

沢山遊んだり、大好きなビニールプールをやったあとは夜までニコニコしていることも多く、やっぱり体を動かすことが大事のようです。

食事の面だと、急に白米を食べなくなったりしました。これも良くわからないです。相変わらず卵焼きは嫌いです。

療育なんですが、新しい所と契約しました。評判の良い場所で皆優しそうでした。

今行ってる所と少し方針が違います。

今行ってる所は毎回先生が変わります。それは、いろんな人と関わりを持った方が良いとの方針のようです。

ただ、この毎回違うが息子に対して難しい場面もあります。それは先生のやり方が息子と合わないと息子はその時間ずっと横になって寝てるだけなんです。

相性の良い先生だと楽しそうに遊べるのですが、相性の良くない先生とくに事前に決められた課題をこなそうと努力をすると必ずうまく行かないのです。

一方新しい所は、一人の担当がずっと見てくれます。とりあえず、療育としてこの二つを続けてみようと思います。

こどもちゃれんじぷち留年 3歳

いよいよ3歳になった。

子供に障害があることがわかってから、何をすればいいのか全く分からず手探りでやってきた。共働きなので手続きはほとんど妻にまかせっきりで申し訳なかった。

私といえば、とにかく気分はずっと落ち込んだままだったので仕事は全く手がつかず、毎晩酒を飲んで浄化していたが全然効果はなかった。

児童発達支援というのが世の中にあって、発達障害がある場合には利用できる事。

療育手帳というのがあってあると、色々と公的・私的な支援を受けやすい事。

全く知らなかったので手探りで進めた。

まず、児童発達支援(療育)に通うためにはこども発達相談センターに通っていること市役所に手続きが必要なこと。

また、障害児支援利用計画案(セルフプラン)を書かないといけないのだがどこに頼んでも断られた。

しかし、どこに電話していいのかわらずに手探りで電話した船橋市のとらのこキッズさんが色々とご丁寧に教えて頂き心が救われた。

なんとか、書類を用意して児童発達支援(療育)には通う事ができた。

次は、療育手帳を手に入れる必要がある。療育手帳があると、その等級(障害の重さ)に応じて様々な支援が受けられる。

ただ、3歳未満の時は手帳があってもなくてもあまり変わらないが、3歳以上が有料になる公園とかでは使える。

またこれも市役所に相談すれば終わりじゃなくて、色々とたらい回しにされながら情報を集めて、資料を作成して提出する。

最後は、児童相談所に行って判定を受ける。

児童相談所もどこにあるかもわからずだったが、暑い夏の中何度も隣の市の市川市にある児童相談所に通った。

最初は親のヒアリング。次に担当者が子供の様子を見てくれる。そのうえで最後に医師の判断となる。

この医師から判断を受ける少し前に、自転車を買ってもらった。買ったばかりの自転車なので大事に使っていて、バッテリーは必ず取り外して持ち歩いていた。

市川の児童相談所の駐車場は炎天下で車内が高温になるので、バッテリーを相談所に持ち運んでいた。今考えるとシュールな絵ですが、左手にバッテリー、右てに子供の手をつないでいた。

そしていよいよ、最後の医師からの判断をもらうとき。どんな答えが返ってくるかはわかっていた。覚悟していいたが、実際に医師から「この子には障害があります」とはっきり言われると、涙がこぼれそうになった。

妻は号泣していた。

改めて偏見のない第三者の目から公平な判断として言わるとやっぱり受け入れるには辛い。子供の人生は親の創造を超えて自由に自分の意志で好きな人生を送れるようにするのが親の役割だったのが、この子にはもうある程度の幅の中でしか育てられない。
この子の人生は自由ではなく制限の中で生きて下さい、そう言われた気がして悲しい気持ちになった。

コロナ、猛暑、バッテリーを持ち歩く不思議な親子。

それが、先月までの話でいよいよ療育手帳が届いた。判定はB-1とあった。
先月の医師は「まだわかりませんが、今の所中度知的障害、中度自閉症」と言っていた。

その判断どおりの結果がやってきた。

手帳辛い判定結果が記載されていたが、その横には無邪気に笑う子供の写真が載っていてるのが辛かった。

先月の医師の面談の帰りに「バイバイ」と言っていたが、今月になるとその発話は一切しなくなっていた。

この3歳を境に、発語がどんどん消えていった。

運動面でいうと、成長をしていてジャンプするようになったりした。

それ以外にも人の背中を叩く(一種のコミュニケーション?)をやったりと、パパとは遊ばないで、パパは本、ママは遊び相手といった変わったコミュニケーションをとるようになっていった。