こどもちゃれんじぷち留年 1歳11ヶ月 そのほかの事

前回の記事では、親の心境を記載したが、今回は子供の成長をメインに。

自閉症の傾向が強い事がわかり、テレビを廃止(というか元々テレビはなく、iPadでNHKや録画されたテレビ番組を見ていた)し、家事も寝た後にし子供の読み聞かせを徹底的にやった。

本は気分が乗らないと静かに読んでくれなし、勝手にページをめっくたりで全然中身を理解していない様子。

しかし、落ち着いている時は本を静かに読んでくれる。

そんな感じで、根気強く読み聞かせを続けていたら、なんと効果が現れた。「羊は?」と聞くと「メー」と答えたり、「象さんは?」と聞くと「パオーン」など答えてくれる。

一人で本を読んでいたこともあった。一人で「だるまさんが」を上手ではないが読んでいた。

ただ、奇妙な行動もしていた。

例えば「くだもの」って絵本があって、いろんな果物が登場する絵本で読み聞かせするときに、絵の果物を手で掴んで息子に与える、すると「あ〜む」と口を開けてくれると、私は息子の頭を撫でてほめていた。

息子は一人で読んでいる時に、「か」(スイカのこと)と言いながら絵のスイカを摘んで口に入れる、その後自分で頭を自分で撫でる。おそらく、いつもは私が「よく食べらたね」と褒めながら頭を撫でるだが、それを食べた後にやることだと思っている。

褒めるという行動が報酬ではないのだ。褒める->嬉しい->同じ行動をする というのがない。

AIの文脈で強化学習というのを知ってるかたは強化子という言葉を聞いたことがあると思う。

元々は、心理学の文脈で使う言葉で私がIT系なので初めて知ったのは強化学習からだった。

強化子は報酬、すなちゲームでいうところのポイントや得点に該当する。この得点やポイントが多く取れる事を目的にしている。

簡単にいうと、得点とポイントが高いと嬉しい状態になる。子供でいうと、褒めらると嬉しい状態となる。

しかし、この目的がない状態だと、褒めても嬉しくない。基準はあくまで他人が下した判断=褒めるじゃなくて、自分が楽しいというのが基準になる。

それは傍目から見ると、単純なワガママにうつる。

また、逆の怒るも通じない。怒ると面白いのか笑だす。

この時はとにかく必死で頑張ればなんとか所謂「健常児っぽい」感じになると思っていた。

こどもちゃれんじぷち留年 1歳11ヶ月

いよいよこの頃になると自閉症とか知的障害とか、発達障害であることを確信しつつあった。

この時期は、精神的にかなり辛かった。率直に言って悲しかった。しかし、悲しみの根本原因がよくわからない。
妻は、私よりずっと前から苦しんでいた。

子供は元気にしてるのに、何故か死んでしまったかのような気持ちになった。

保育園を送った後も、一人でいると悲しくなった。

とても不思議な感じがした。子供が産まれた時に特に「偉い人なってくれ」とか「勉強が張ってくれ」とか全然考えてなかった。

無意識に、人は子供に自分に近い人生を歩むものだと仮定してるみたいだ。その仮定が根底から覆ったことが悲しいのか。
確かに、自分以外に人の人生なんて味わったことがない。聞いたり読んだりしたことと体験したことはやっぱり違う。

この悲しみは、同じような経験をしてみないと表現できない。近い感覚だと、やっぱり子供が死んでしまったような気持ちだ。

保育園でも、「うちの子は自閉症っぽいから、大変で」と言っても通じない。「言葉を貯めるっていうし」とか、「男の子ってそういうものですよ」とか。
どこかの作家が、「私は、作家だから大抵の事は想像でわかる。しかし、子育ての大変さは身に持って感じないとわからない」と発言したら炎上した。

それなら、障害児は尚更その苦労も想像できないと思う。
なので、子育てに関していうと近くに相談できるような人がいなくて、それがさらに精神的に追い詰められて行った。

今まで歩んできた自分の人生を鑑みて、おおよその将来やこれからするべきこと、起こることは予想できるが障害児となると、どうなるのか先が全く見えない。

その不安を埋めるために、妻はひたすらネットやYoutubeで情報を集めていた。私は人の将来なんてわからないのだからと、絶望も希望もしない、とりあえず受け止めようと考えていた。

どちらの考えが正解とは言えないが、妻から得る情報は貴重で的を得ていた。

ネットはどんどん不安を煽るような情報というか、そういう情報を与えられると人間は、さらに調べたくなるって依存する、情報麻薬漬け状態になってしまう気がした。検索エンジン側もそれが考慮されているかと疑いたくなるレベルであった。

しかし、身近に頼れる人や相談できる人がいないとやっぱり自分で調べて進めるしかなく、この時期は夫婦で苦しい時間を過ごしていた。