こどもちゃれんじぷち留年 1歳11ヶ月

いよいよこの頃になると自閉症とか知的障害とか、発達障害であることを確信しつつあった。

この時期は、精神的にかなり辛かった。率直に言って悲しかった。しかし、悲しみの根本原因がよくわからない。
妻は、私よりずっと前から苦しんでいた。

子供は元気にしてるのに、何故か死んでしまったかのような気持ちになった。

保育園を送った後も、一人でいると悲しくなった。

とても不思議な感じがした。子供が産まれた時に特に「偉い人なってくれ」とか「勉強が張ってくれ」とか全然考えてなかった。

無意識に、人は子供に自分に近い人生を歩むものだと仮定してるみたいだ。その仮定が根底から覆ったことが悲しいのか。
確かに、自分以外に人の人生なんて味わったことがない。聞いたり読んだりしたことと体験したことはやっぱり違う。

この悲しみは、同じような経験をしてみないと表現できない。近い感覚だと、やっぱり子供が死んでしまったような気持ちだ。

保育園でも、「うちの子は自閉症っぽいから、大変で」と言っても通じない。「言葉を貯めるっていうし」とか、「男の子ってそういうものですよ」とか。
どこかの作家が、「私は、作家だから大抵の事は想像でわかる。しかし、子育ての大変さは身に持って感じないとわからない」と発言したら炎上した。

それなら、障害児は尚更その苦労も想像できないと思う。
なので、子育てに関していうと近くに相談できるような人がいなくて、それがさらに精神的に追い詰められて行った。

今まで歩んできた自分の人生を鑑みて、おおよその将来やこれからするべきこと、起こることは予想できるが障害児となると、どうなるのか先が全く見えない。

その不安を埋めるために、妻はひたすらネットやYoutubeで情報を集めていた。私は人の将来なんてわからないのだからと、絶望も希望もしない、とりあえず受け止めようと考えていた。

どちらの考えが正解とは言えないが、妻から得る情報は貴重で的を得ていた。

ネットはどんどん不安を煽るような情報というか、そういう情報を与えられると人間は、さらに調べたくなるって依存する、情報麻薬漬け状態になってしまう気がした。検索エンジン側もそれが考慮されているかと疑いたくなるレベルであった。

しかし、身近に頼れる人や相談できる人がいないとやっぱり自分で調べて進めるしかなく、この時期は夫婦で苦しい時間を過ごしていた。

こどもちゃれんじぷち留年 1歳10ヶ月

前回までは、まだ発達障害であることは考えてなかった。妻は、10ヶ月ぐらいからもう少し様子がおかしいと疑っていたが、私は誰に相談しても「男の子ってそんなもの」とか、「言葉を貯めてるんだよ」とか、そういう言葉を信じてた。

しかし、もうこの時期になると、タイトルにあるように「こどもちゃんじプチ」の内容に全然追いついていないことがはっきりとわかって来た。

1歳ぐらいまでの「こどもちゃんれんじぷち」の内容は、親が子供に読み聞かせたりするどちらかという一方通行的なやり方でも良かったのですが、この年齢になると子供の反応に応じた教材に変わっていきついていくことが出来なくなった。

保育園に入った頃は、ご飯を食べるや「美味しい」と言って先生達を笑わせていたし、発語も徐々に増えて言っていたので問題ないと思っていた。しかし、意思疎通という面で見ると難しい。

SEKAI NO OWARI の藤崎彩織さんが、日経の夕刊にあるプロムナードで書いていた記事。
「子供が全然喋らない。いつも部屋で電車の図鑑を見て、私はその電車の名前を答えるだけ。いつまで、この作業が続くのか苦痛に思っていた。ある時、xxxxxって何?とさりげなく聞いてみたら、指差してくれた。試しに別の電車を言ってみるとそれを指差してくれた。私がいつも言っていた電車の名前はちゃんと、子供に蓄積されていてことに感動した」といったエピソードがあったが、我が子には一切そういうものがなかった。

電車の図鑑は好きなので、いつも見ていて電車名前は言っていた。しかし、こちらが言った電車の名前は指差すどころか、日常生活においても、どれが欲しい?とか問いかけに指差すようなことはなかった。

日常生活においも大変で、買い物も大変で、駆けずり回る。どこでも寝転ぶ。特にコロナ禍ということもあるが、エスカレーターの降り口、店の出入り口、エレベーターの出入り口、トレイの出入り口、どこでも寝転んでいた。以前は、そこまで走るのが速くなかったので問題なかったが今は素早い。

寝転ぶのは、スーパーだけではなく道でも同じでどこでも寝転んでいた。

1歳半検診がコロナで延期されていて、問診票のみ提出となっていた。その問診票に妻がありったけの不安や様子を書き連ねていた。保健センターがやっとその問診票を見たようで、保健センターに呼ばれた。どうやら、コロナ対策方が大変で、問診票を見るまでに時間がかかったみたいだ。

保険センターでは、とりあえず視覚優位と判断された。要するに耳で得る情報より目で見た情報の方が優位となる。言葉ではなく、ジェスチャーとかの方が有効かもとの情報を得た。

この頃から、テレビを見せるの少なくして、本の読み聞かせをさらに頑張ることにした。

保育園にて先生から「発達の事でお困りの事があったら相談下さい」と妻が先生から言われた。

この時、「やっぱり、第三者目線からみてもそうか」と思い、妻は「息子の不思議な行動をネットで調べると常に結果が自閉症と出てきます」と相談すると、発達支援センターに相談するようにとなった。